切り替えが下手な原因

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Photo by Jason Rosewell on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

さて、最近つくづく「切り替え上手になりたい」と思う。

 

私は、嫌な考えがずっとループしてしまう。

本当は楽しいことを考えた方が良いと思う。

風が気持ちいいとか、「今」に集中するのも良いと思う。

 

だけど不安がどんどん膨んで、抜け出せなくなる。

ひとつ、原因に心当たりがある。

 

子供の頃、いつ父親に怒鳴られるかわからなかった。

そして「起きてから寝るまで、ずっと反省してろ。遊んだら、ただじゃおかない」と言われた。

 

だけど、また思ってもいない理由で怒られる。

たいていは理不尽な八つ当たりだった。

 

「お前のせいで湯沸器が壊れた、この馬鹿野郎」とか。

 湯沸器に限らず、家でなにか物が壊れると、私のせいだと言って怒られた。

 

そして「なんでお前は反省できないんだ?」と怒鳴られた。

時には暴力も混じって。

 

1度怒られると、ほとぼりがさめるまで2~3日、食事・手伝い・風呂・トイレ・宿題・学校の時間以外は、部屋の隅でただ座っていた。

心の中でずっと「ごめんなさい、もうしません、許してください」と唱えてた。

 

だけどすぐ想像の世界へ行ってしまい、ふと現実に戻り、

「また私は反省を忘れてしまった、駄目な子だ、ごめんなさいごめんなさい・・・」と心の中で唱えてた。

 

子供が部屋の隅でただ座ってるのは異様な光景だ。

だけど両親も、祖母も、「もう反省はいいから、楽にしなさい」なんて言わなかった。

 

父と祖母が不在の時は、母が見逃してくれたので、私は反省をやめて絵を描いたりした。

父の車のエンジン音が聞こえると、慌ててお絵かき道具を2階へ持っていき、また座りなおした。

 

これが

「周囲でなにか問題が起きたら私のせい」
「問題をずっと考えろ、切り替えるな」

という癖の原因かもしれない。

 

不備を探して、そこに固執する癖を捨てたい。

足りてることに感謝できる人間になりたい!

 

もうちょっと試行錯誤してみようと思う。

 今日も、良い1日を。

働かなきゃいけないのに、鬱で困る

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Photo by Sergey Pesterev on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

1月末に会社を辞めてから、もうすぐ8か月。

 

鬱病の状況は、実は今、悪くなってる。

社会と関わりはじめたのが原因だ。

 

貯金が底を尽きて、働かなければいけない。

だけど、まだフルタイムで働くには不安があって、家の外に慣れるため、週2でボランティアを始めた。

 

でも、人が怖い。

「この先、また人間関係で上手くやれなくて、責められたらどうしよう」と不安になってしまい、苦しくなる。

 

ベランダで風に吹かれ景色を眺めると、少し落ち着くので、1日2~4時間は狭いベランダで体育座りして過ごしてる。
 

こうやって文字にすると、改めて、何やってんだろう・・・と思う。

気持を切り替えたいのに、何も手に付かず、不安を切り離せない。

 

ボランティアは1日4~5時間だけど、困ってることが3つある。

1、緊張で、やたら水が飲みたくなる

2、活動場所に閉じ込められた錯覚をおこす

3、マスクに慣れず、緊張で息が荒くなるせいもあり、苦しい

 

「マスクを外せない、水が飲めない」
「あと1時間ここにいなきゃいけない」

などと思った途端に、パニック発作の予感がくる。

まだ実際の発作に至ってないけど、感覚的には紙一重だ。

大声で叫んで外へ飛び出したくなる。

 

子供の頃を思い出した。

私は、人が多い場所が苦手で、教室にいると気持ち悪くなった。

小学1年生の時は、出席日数の3分の1を早退した。

母が迎えに来てくれて(たくさん迷惑かけたな・・・)、学校を出た途端に治った。

 

2年生以降は早退しなくなった。

でも4年生までは1人も友達がいなかった。

 

行事のグループ分けは大嫌いだった。

先生が無理やりどこかのグループに入れるので(そりゃそうだ)、肩身が狭かった。

 

私が鬱病になったのを知った少数の人達は

「信じられない。いつも楽しそうだし、アクティブで、誰とも話せる性格なのに」と言った。

 

大人になって、人見知りが治ったと思ってたけど、本質は変わらないのだろうか。

 

今日も、良い1日を。

「かわいそうフィルター」で見てた

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Photo by Anton Darius on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

 

最近、「人って、見たいように物事を見るんだな」と思うようになった。

 

先月、なかなかの猛暑だった、ある日。

日陰が無く、アスファルトの温度が70度を超える中、シルバーボランティアさん達が植栽の世話をしていた。

地域の70~90歳の御婦人たちが、重たいプランターを運んだり、草むしりで立ち上がったり座ったり繰り返している。

 

たしかに暑いからって草花は放置できないけど、熱射病で倒れちゃうんじゃないかと、気の毒に思っていた。

そこで次の週、手伝いを申し出て、私もボランティア参加させてもらった。

 

そしたらですね・・・

私は30分も経たないうちに茹でダコみたいになり、頭痛がしてきたのに、御婦人たちは、めちゃくちゃ元気なのである。

ちゃきちゃき、てきぱき、時折大笑いしてる。

 

年間通して活動していると鍛えられ、体力がつくそう。

また園芸療法の効果で、鬱病が治った人もいるらしい。

 

私は完全に役立たずで、皆様に慰められるという・・・

 

私の「かわいそう」って、おこがましいな。

そう思い知った。

 

私は今まで、色んなことに対して「かわいそう」って思ってた。

 

過酷な自然環境と向き合う一次生産者の方達。
毒親に育てられる子供達。
戦争をしている国の人達。
募金箱を抱え何時間も立ってる子供達。
優しさを食い物にされる善良な人達。

 

でも。

相手を勝手に「かわいそう」って思う自分の方が、かわいそうな人間だと思った。

ずっと自分のことを憐れんで生きてきたから、「かわいそうフィルター」で物事を見るのだろう。

 

皆、それぞれの人生を精一杯生きてる。

山あり谷ありで、人生どん底に落ちても、這い上がる。

 

なのに、私の尺度で「かわいそう」なんて見られたら、大迷惑だろう。

 

40度近い炎天下の中、へろへろになった私に大切なことを気づかせてくれた、元気なシルバーボランティアの皆様。

「暑い中かわいそう」なんてとんでもない、本当にカッコよかった。

心から尊敬します。

 

今日も良い1日を。

開運のコツ 8/16のELS講座より

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Photo by Daniel Öberg on Unsplash

 

 

みなさん、こんにちは。

8/16に「新ベスのブログ」のエンジョイ ライフ セミナーへ行ってきた。

今日は、1番心に残っている話を書かせていただきたい。

 

このセミナーは、毎月、四ツ谷のエイトスター・ダイヤモンドで開催されてる。

lavandura.hatenablog.com

 

ファースト セミナーは予約不要なので、たまに行く。

個人的には、気分が停滞してる時に行くと、視点が切り替わってクリアになる。

停滞してなくても、楽しいので何となく足が向く。

 

何度もリピートしてるけど、毎回、自分に刺さるポイントが違ってて面白い。

今回1番刺さったのは、「スーパー守護霊の作り方」だった。

 

人には「主護霊」と「守護霊」がいて、

「守護霊」は、どんどん入れ替わる。
「主護霊」は、生まれてから死ぬまでずっと一緒、入れ替わらない。

たとえば大企業の社長や、政治家には、何人も守護霊がついてる。

 

霊っていうと不確かな存在で曖昧だ。

私は、生きてる人間に置き換えて解釈してみた。

自分を応援してくれてる先輩、その道の師匠、といったイメージ。

 

頑張っていれば、見守って応援してくれる。

怠けてれば、愛想尽かされて、守護霊はどんどん離れて行く。

助けを求めれば守ってくれる。

閃きや直感という形でヒントをくれる。

 

スーパー守護霊を作るコツは5つ。

1、勉強する
2、挨拶する
3、趣味を持つ
4、感謝する
5、親切にする

 

そして、守護霊のシグナルをキャッチする。

 

・・・このような内容だった。

 

守護霊の存在を証明することは不可能だけど。

何十年か生きてると、理屈で説明のつかない出来事は、ある。

目に見えない何かに守られているとしか思えない、偶然で片付けられないことがある。

 

大難が小難になり、進みたい道に追い風が吹くなら、このコツを実践する価値があると思った。

 

今日も、良い1日を。

鬱病の経過、何も信じられず困惑中

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Photo by Mohamed Nohassi on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

 

最近、何が真実なのかわからなくなり、Twitterの「いいね」が押せなくなった。

 

 

たとえば、こんなことがあった。

ある社会問題があり、不当に拘束された活動家へ応援ツイートした。

 

数日後、実はその活動家が工作員だと耳にして、自分は間違っているのかもしれないと思った。

今も自信がない、真実がわからないから。

 

 

もうひとつ。

伊藤詩織さんが、名誉毀損で漫画家はすみとしこさんを訴えた。

黙って耐えるのが通例だった中、声をあげて立ち向かう伊藤詩織さんの勇気を、私は尊敬してる。

 

だけどTwitter上では、はすみさん本人と、フォロワー達が、はすみさんの正当性を訴えてる。

「悪いのは伊藤さん、はすみさんの方が被害者だ」と。

私は「え、どうしてそうなるの?」と戸惑ってしまった。

 

はすみさんを支持する人は、

表現の自由を脅かすな」
「先生だってめっちゃ誹謗中傷を浴びて攻撃されてて、それに耐えてきたの知ってます。絶対、負けないで欲しい」

といった主張があった。

 

私には、それらを論破できる主張が、無い。

情けないけど。

 

私の思う「不当」は、他の誰かの「正当」なんだと思った。

日々、信念がひっくり返っていく。

 

なにが真実なのかは、人によって違うのかもしれない。

自分の中に、何かを信じたい気持ちがある。

だから何かを妄信してしまう時があって、間違えるのかもしれない。

 

信念が無いと、自分のスタンスを表明できないから、個人的には困ってる。

それなのに、こんなブログを読んでくださることに心から感謝してます。

 

今日も良い1日を。

鬱病の経過、虚無感のあと混乱中

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Photo by Kelli McClintock on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

 

自己分析を続けていたら、つくづく自分がしょーもない人間だと気がついた。

そう思った理由は幾つかあるんだけど。

 

たとえば、ジャッジする癖。

自分のことだけ一生懸命やればいいのに、無意識に他人と比較してる。

上下で比較してる。

 

先輩の仕事の進め方を見て、

「うわー、本当に行き当たりばったりで、考え無しだな」

って、下に見てる。

 

そのくせ、上を見て苦しくなってる。

権威者の目を気にして、

「上司の期待に応えてないんじゃないか?」と不安になったり。

 

自分が憧れてて、仲良くなりたい人に対して

「本当は鬱陶しいとか、迷惑に思われてるんじゃないか?」とか。

 

しょーもない・・・

この卑屈な考えを捨てるには、どうしたらいいんだろう?

 

他人の気持ちなんて考えても意味がない、考えたってわからない、キリがない。

自分が作り出す思考で、自分を息苦しくしてる。

そんなことより好きなことをして、心地良い時間を過ごせばいいのに。

 

 

今、就職活動をしている。

正直、人が怖い。

本当は、「ちゃんとした自分」になってから、社会復帰したい。

 

だけど、「ちゃんとした自分」なんて幻想だ。

しょーもない自分のまま生きていくしかない。

 

 「人生どうでもいい」って思うのは、もしかしたら良いことなのかもしれない。

他人の視線も、卑屈さも、エゴも捨てちゃえばいい。

 

うーん、でもやっぱり、そんな簡単じゃない気がする。

これからも同じようなことで苦しむ気がする。

 

自分が何を言いたいのか、わからない。

こんな調子で8月からずっと混乱してる。

 

今日も良い1日を。 

鬱病が治る魔法の杖は無いのかもしれない

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Photo by Hu Chen on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

会社を辞めて半年たつけど、会社のことを考えると苦しくなる。

自分の思考が原因で、胸のあたりが本当に痛くなる現象は不思議だ。

 

でも心境は大きく変化した。

7月は、パニック発作の予期不安が1回も無かった。

悪夢で眠れない日も無かった。

 

あと許せないのは1人だけ、どうにも自分が許せなくて困ってる。

状況を見誤った自分が許せない。

 

 「たられば」を話しても仕方ないけど、もしも過去に戻り、正しい判断ができて、鬱病にならなかったら、あの会社で上手く立ち回れていたのか?

また次の会社で失敗するのが怖くて、「あの時どうしたら正解だったのか?」を考えずにいられない。

 

10年前、鬱病で一時期失踪してた研究員の友人に、どうやって立ち直ったのか聞いてみた。

彼はある日突然、出社しなくなり、マンションの荷物も引き払われていた。

失踪の原因は激務、過労による鬱病だった。

彼は数日旅行したのち実家へ帰り、自宅療養を経て、同じ会社に復帰して、今はその会社で出世している。

 

直球で「あの時は、どれくらい経って、鬱状態から元に戻った?いつ自分を許せるようになった?」と聞いてみた。

 

彼は、「1~2年のあいだは、頭のどこかに、自分が飛んだ事実があって、あの時どうすれば正解だったのか?って逡巡したよ。でも自分が許せない、とかは無かったな。失敗した原因は分析したけどね」と即答した。

 

自分も何年かは頭の隅に、この鉛みたいな感情を抱えながら働いて行くのかな。

 

このブログの目的は、自分を実験台にして、鬱病の解決策を探すことだった。

たとえば、感動する映画を観て人生が激変するようなことを期待していた。

でも魔法陣も心理学も、「これで鬱病が治った!」となる魔法の杖は、無いのかもしれない。 

 

思いのほか先が長くなりそうだ・・・

でも自分と闘わないって決めた。

 

今日も良い1日を。