正義だと思ってた自分の言葉が怖くなった
みなさん、こんにちは。
さて、6月中旬からブログを書けなくなっていた。
普段の友人達との会話でも、自分が何を言いたいのか、よくわからなくなっていた。
発端は5月末頃。
子供時代の嫌な記憶を思い出した。
自分のアイデンティティが無くなり、空っぽになった。
自分の人生も、世界も、全てがどうでも良くなった。
6月中旬頃。
TVで報道されている日本社会と、Twitterで知る実情の違いに、苛立っていた。
「政治、面倒くさいねん。なんもできひん。」と言って、ゲームばかりやってる友人がもどかしかったりした。
その時期、海外で大きな地震が続いたので、
「日本も近々大きい地震が来るかもしれない」という声が高まっていた。
「大きい地震が来ないよう祈ろう」というSNS上の言葉に、自分は、こう思ってしまった。
「大きい地震が来たらいい、大災害や戦争になったらゲームどころじゃない、不正ばかりの政治に関心を持つべきだ、みんな目を醒ませばいい・・・」
・・・自分は、阪神淡路大震災の日に、建物の1~2階が倒壊した沿道を半日歩いた。
人が埋まっていた。
近隣県ナンバーの消防車を、たくさん見た。
夜ようやく宿泊場所に着いた時、あたり一帯停電しているのに、火災で空が真っ赤だった。
あの光景は、今でも現実じゃないように思える。
「こんだけ跡形もなくなったら、街がきれいになってええな!」と冗談を言い、道中、笑って皆を勇気づけていた、お腹のまるいオジサンを思い出す。
そのオジサンの家がある地域まで辿り着き、そこからは行き先が別になるので、別れを言って背を向けた途端、余裕なく滅茶苦茶に、がれきの中を走って行った。
奥さんと子供が家にいるって言ってた。
あの日、不安と絶望に引きずり込まれないよう、ぎりぎりの気持ちを保ちながら、知らない人達がお互いを思いやっていた。
一生、忘れない。
それなのに、自分の中に、狂った考えがあった。
「みんなが安心して暮らせる国に変えたい」
「大きい地震が来て、他人事じゃなくなれば、みんな真剣にこの国の将来に向き合う」
自分の思考が怖くなった。
自分の理想のために、犠牲もいとわない、それって、
独裁者と同じ発想だ。
正義だと信じることの怖さ。
そもそも、
「自分の人生も、この世界もどうでもいい」って思ってたのに、どうやら、そうじゃない。
ブレっブレじゃん・・・。
それから、ブログが書けなくなった。
友人達とのLINEも、言葉を発信できなくなった。
でも、このブログは元々、うつ回復過程の、泥まみれの自分をメモするブログなので、自分のなかの闇・欺瞞・間違いも、書いていこうと思う。
本当に、自分はどこへ向かってんのかな、どこに着地するのかな、全くわからない。
今日も、良い1日を。