支配されずに生きるために、気がつく
みなさん、こんにちは。
さて、ここ数日、子供時代の記憶が断片的に蘇ってきた。
たぶん自分は「怒り」を感じている。
でも記憶と感情が切り離されているので、直接的に考えることができない。
自分には向き合えないけど、自分に関係ない揶揄表現なら読み解ける。
昨日メモした加藤諦三氏の著書「いじめに負けない心理学」について、引き続き考えてみたい。
第6章『あなたにとっての「敵」と「味方」を間違えるな』より、幾つかのフレーズを抜粋させていただきたい。
ある子供が一生懸命、畑で働いて、作物を持ってきた。
すると親が「これだけ?家族への愛情が無いな〜!」と怒る。
愛を語って苛める場合には、本来の責任とか、役割がおかしくなっている。
本来は親がしなければいけない労働だ。
しかし苛められる人は、そうゆう時でも「すいません」と謝る人である。
子供は苛めを受け入れている限り、誉められる。
苛められている子供は孤独だから、誉められることが嬉しい。
だから苛められていることに気がつかない。
だいたい苛める人は、楽していい思いをしようとしている。
自分を磨いて努力することが嫌いである。
必死で仕事をして燃え尽きる人の周囲にいる人は、だいたい質が悪い。
燃え尽きる人は、本当は一緒にいなければならない仲間からはぐれてしまっているのである。
苛める側がずるいとすれば、苛められる側は真剣に人生に立ち向かっていない。
支配する人は巧妙だ。
一般的に、学校・家庭・職場では、助け合いや、誠実、愛情、思いやりなど、人間的な関係が育まれている(と思われている)。
その中に、弱者を搾取する支配者が紛れてる。
支配されてる人が「なにかおかしい」と疑いはじめると、支配者は先の「助け合い、誠実、愛情、思いやり」を持ち出して、被支配者を責める。
たぶん、自分は今までずっと、この構図に嵌っていた。
自分が見てた世界が壊れた。
今日も良い1日を。