自分にとっての「敵」と「味方」を間違えるな

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Photo by Roksolana Zasiadko on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。
さて、思考が錯綜しはじめてから1週間。

 

最初は「趣味を持つ」ために、邪魔な罪悪感の正体を突き止めようとしていた。
でも今は、趣味以前に、自分がどんな人間だったかすっかりわからなくなった。
どうしてこうなったのか、不可解だ。

 

目的を見失ったので、先週読んだ加藤諦三氏の本についてメモしたい。
この本の何かが引っかかり、読むと脈拍が上がる。

 

加藤先生は本書で、苛めの構図について、具体例を交えながら丁寧に書かれている。
第6章の

『あなたにとっての「敵」と「味方」を間違えるな』

から、要点だけ抜粋させていただきたい。

 

引用元:加藤諦三著「いじめに負けない心理学」PHP研究所

立派なことを言う人には、常に注意をしなければならない。

愛のないところで育った人は、人を見分ける能力が無い。
愛を唱える人が愛の人、と錯覚する。


苛められる側は、もともと不幸な人が多い。
惨めな境遇ゆえに、そのような愛を信じたいのである。

 

「いろいろと立派なお説教」をして苛める人は、相手を諭しているのではなく、
自分の感情をぶつけているに過ぎない。

グジュグジュといつまでも立派なことを言って絡んで苛める人は、相手を選ぶ。
反撃してくる人は苛めない。

運動部の学生でも、会社でも、同じである。
教えてやるという口実の元に苛める。

 

虐待は、親が自分の憎しみを、子供を苛めることで晴らしている。
子供は親を「いい人」と思わなければ、生きていけない。


こうして育った子供は言葉を信じる。
相手が「愛している」と言うと、愛されていると思う。
相手のしていることを見ていない。


加藤先生が仰っていることが、今の攻撃的思考に関係している気がする。
雲を掴むようで、よくわからない。


今日も、良い1日を。