ただの日記、このまま「諦める」
みなさん、こんにちは。
ごめんなさい、今日も人格が迷子のまま書いてます。
さて、6月に入り関東は夏日。
今年は海で泳いでスイカを食べたい。
2か月後、3か月後、日本はどんな状況になっているだろう。
コロナよりも、政治が憂鬱。
国の危機に便乗して、不正にお金を儲けようとする、
政権の「お友達」が後から後から・・・。
真実が知りたい。
日本は、ここで変わらないと。
自分自身の真実は。
今までは自分の生い立ちを、こう思っていた。
「父のDVは家族への愛情。家族のために耐えた母も立派」
でも少しづつ、巧妙だった支配に気がついた。
本当は、父親も母親も祖母も狂ってた。
「そんな風に思うなんて間違ってる、酷い子!」
と言う母の声が頭の中に響く。
それでもいい。
もう誰に責められてもいいと思ってる。
あんなに殴られたのに、記憶が乖離してて、痛いとか、悲しいとか、全く想い出せない。
この先、こんな風に想い出して混乱するなら、ちょっと困る。
記憶が戻る時は、吐き気と頭痛がセットなので、再就職に差し支えそう。
これからどうなるのか、全くわからない。
でも、もう自分とは戦わないって決めた。
先日、加藤 諦三氏の著書についてメモした時、
「人名で ”諦める” って、良くない意味の漢字で変だな」と思った。
「諦める」って言葉には、私の知らない意味があった。
辞書には、こう書かれてた。
1【諦める】とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。
2.【明らめる】事情・理由をはっきり見定める。
漢字の「諦」は、真理、道理を意味する。
ものごとの道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念する、という思考のプロセスをそこに見出せる。
諦めようと思う!
空っぽになった箱に、これから少しづつ、好きなものを詰めていきたい。
今日も、良い1日を。