ただの日記、このまま「諦める」

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Photo by TOMOKO UJI on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

ごめんなさい、今日も人格が迷子のまま書いてます。

 

さて、6月に入り関東は夏日。

今年は海で泳いでスイカを食べたい。

 

2か月後、3か月後、日本はどんな状況になっているだろう。

コロナよりも、政治が憂鬱。

国の危機に便乗して、不正にお金を儲けようとする、

政権の「お友達」が後から後から・・・。

 

真実が知りたい。

日本は、ここで変わらないと。

 

自分自身の真実は。

今までは自分の生い立ちを、こう思っていた。

「父のDVは家族への愛情。家族のために耐えた母も立派」

 

でも少しづつ、巧妙だった支配に気がついた。

本当は、父親も母親も祖母も狂ってた。

 

「そんな風に思うなんて間違ってる、酷い子!」

と言う母の声が頭の中に響く。

 

それでもいい。

もう誰に責められてもいいと思ってる。

 

あんなに殴られたのに、記憶が乖離してて、痛いとか、悲しいとか、全く想い出せない。

この先、こんな風に想い出して混乱するなら、ちょっと困る。

記憶が戻る時は、吐き気と頭痛がセットなので、再就職に差し支えそう。

 

これからどうなるのか、全くわからない。

でも、もう自分とは戦わないって決めた。

 

先日、加藤 諦三氏の著書についてメモした時、

「人名で ”諦める” って、良くない意味の漢字で変だな」と思った。

諦める」って言葉には、私の知らない意味があった。

辞書には、こう書かれてた。

1【諦める】とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。

2.【明らめる】事情・理由をはっきり見定める。


漢字の「諦」は、真理、道理を意味する。


ものごとの道理をわきまえることによって、自分の願望が達成されない理由が明らかになり、納得して断念する、という思考のプロセスをそこに見出せる。

 

諦めようと思う!

空っぽになった箱に、これから少しづつ、好きなものを詰めていきたい。

 

今日も、良い1日を。