忌み嫌われた、変わった男の子

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Photo by Jamie Street on Unsplash

 

 

みなさん、こんにちは。

最近、私の子供時代は、ちょっと特殊だったと思うようになった。

 

まず、6歳まで男の子として育てられた。

髪はサルのようなベリーショートで、男の子の服を着てた。

初対面の人からは100%「ぼく、ぼっちゃん、息子さん」と呼ばれた。

 

父親が、男の子がほしかったから。

弟が生まれた後、スカートを買ってもらうようになった。

 

 

もうひとつ。

母方が代々霊能者や易者の家系だった。

 

祖母はユタで、不思議な話がたくさんある。

(そのうち書くので、読んでもらえたら嬉しい)

 

母は普通の仕事で生活してるけど、人が死ぬ時期がぼんやりとわかる。

「○○さんの家族の誰かが亡くなる」

といった具合に、夢で知るらしい。

 

父親が死ぬ4日前も、母親は「またあの夢を見た、家族の誰かが死ぬ」と思って、怖くて仕方なかったそう。

 

あとはリアルで火の玉(人魂?)が視えるらしい。

母親本人は、この第六感を忌み嫌ってて、誰にも言いたがらない。

 

 

子供の頃の私は、変なことを言う子だった。

たとえば親戚が亡くなった時、大人たちが

「病気で亡くなった」と話してると、私は

「え?〇〇おじちゃんは、◇◇で死んだんしょ?」と、本当の死因を言ってしまう。

 

大人たちは「誰から聞いたんだ!?」って怒る。

私が「こうゆう柄のエプロンして、煙草吸ってるおばさん」って説明すると、

「△△さんのこと?」
「△△さんは2年前に死んだでしょ、ふざけてるの!?」

って、余計に怒られた。

 

たまにこうゆうことがあったから、私は大人たちから気持ち悪がられて嫌われてた。

父親には「またおまえは嘘ついたのか!」と殴られてた。

 

色々あって、この厄介な第六感は子供のうちに消された。

今は視えない。

 

 

性別も第六感も、父親から否定された子供時代だった。

今までは、こんなこと話せなかった。

人から責められるのが怖くて。

 

今日も良い1日を。

精神病院ってどんなところ?(後編)

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Photo by Paweł Czerwiński on Unsplash

 

 

みなさん、こんにちは。

精神病院について後編を書きたい。 

lavandura.hatenablog.com

 

以前、会社の福利厚生でカウンセリングや産業医にかかったことがある。

それらの建物は明るくて、観葉植物が置かれた広々した空間だった。

 

でも私が通ってる下町の精神病院は古く、狭く、雰囲気も暗い。

 

子供のように泣いてイヤイヤをする中年男性。

それを隣でなだめてる高齢の母親。

親に付き添う娘(嫁?)のトゲトゲした言葉。

 

・・・生活感がある生々しい空間だ。 

でも自転車で通えるから助かってる。

 

パニック発作については、毎日薬を飲むよう処方された。

でも効きすぎて、お昼に飲むと、翌日の夕方まで眠ってしまう。

 

もともと薬や注射が嫌いなので、担当医師に「飲みたくない」と伝えた。

結局、発作が起きた時や、その予兆で不安感が強い時だけ飲むことにした。

 

10月以降は、常に2種類の薬を持ち歩いて、状況にあわせて使いわけてる。

強い薬は、28時間ぐらい持続して朦朧とする。

弱い薬は、仕事中に飲んでもだいじょうぶ。

 

薬はどちらも服用後20分程で効いてくる。

気分が落ちてる時は、発作回避のため早めに飲む。

 

私は、他人の気持ちを読もうとして、常に神経が張りつめてる。

でも、この弱い薬を飲むと、頭の中がグルグル稼働しなくなるので、余計なことを考えなくなる。

他の人って、こんな気分がデフォルトなのかな?

すっきりシンプルな思考になれるので気に入ってる。

 

11月からは柴朴湯(サイボクトウ)という漢方も毎日、飲んでいる。

不安恐怖に陥る日が減ったと思う。

 

担当医師の話によると、 

パニック発作で死んだ人はいない

・臓器そのものは問題ない

・発作は20~40分で終わる(体力による)

・私の場合は30分ほど続くので、それだけ体力がある

・自律神経発作、予期不安、不安恐怖と言われてる

・「発作を起こしても死なないんだ」と経験的に把握していくしかない

 

人生から不安が消えたら、どんな穏やかな景色が見えるんだろう。

今日も良い1日を。

精神病院ってどんなところ?(中編)

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Photo by Martha Dominguez de Gouveia on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

昨日の続きを書きたい。

lavandura.hatenablog.com

 

 

私が通ってる精神病院では、初診の時だけ30分以内のカウンセリングがある。

初診以外は、5~10分の医師の診察だけだ。

 

私の担当医師はスキンヘッドで、いつもハイネックの黒いジャージを着てる。

医者に見えない。

寡黙な板前みたいな雰囲気だ。

 

その担当医師は、

「半年以上前から鬱病だったと思うよ。パニック発作は薬だすから。出社不可って診断書に書くから、会社に郵送しなさい」

と言った。

 

社畜だった私は「え、でも仕事があるから、それは無理ですよ」と答えた。

担当医師は「出社、できないでしょ?」とだけ言った。

 

この診察の前に、会社に電話した時のことが頭をよぎった。

人事部に繋いでもらって松田係長が出たけど、私は30秒以上、言葉が出てこなかった。

 

松田係長は、

「あれ、電波悪いのかな?もしもーし?」

と言ってた。

 

私がやっと発した言葉は

「お疲れ様です、松田です」だった。

松田は係長の名前なのに。

 

もう何を言ってるのか自分でもわからなかった。

しどろもどろ、やっとのことで病院にいることを伝えた。

 

こんな状態だったので、担当医師の言う通り、自分はもう無理なんだと悟った。

 

家族にはメールでSOSを送ってたので、会社を早退して精神病院の最寄り駅に来てくれた。

人事部長と松田係長も、その近くのカフェまで来てくれて4人で面談した。

 

会社へ提出した診断書は封緘されてたので、何が書かれていたのか知らない。

でも、この日以降、退職手続きや一切の引継ぎを、松田係長を通して会社とやり取りした。

 

パワハラ上司とも、他の誰とも、メールも電話もしてない。

一緒に旅行するほど仲の良かった同僚も、今日まで1度も連絡をとってない。

 

会社のことを考えると感情が揺れてパニック発作が起きるので、連絡遮断は悲しい反面、ほっとした。

 

10日後、私物が宅配便で送られてきた。

これで終わり。

あっけなかったな~。

 

今日も良い1日を。

精神病院ってどんなところ?(前編)

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Photo by Kamala Saraswathi on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

今日は、私が通ってる精神病院の話を書こうと思う。

 

場所は、家から自転車で20分ぐらいの場所にある。

近くに入院病棟も併設してる。

 

前回、初めてパニック発作を起こした日のことを書いた。

lavandura.hatenablog.com

 

 

電話を切った後、

「30分以内に病院へ行かなきゃ!」と一心不乱に病院へ向かった。

もし間にあわないと、他に受け入れてくれる病院が無い。

 

あの、発作の時の衝動はなんなんだろう?

大声で叫びたいような、川へ飛び込んでしまいたいような、死んでしまいたいような。

 

自分はおかしくなってしまった、このままだと死んでしまうって本気で思った。

 

病院の建物は、暗くて、普通の病院よりも狭い。

待合室は、いつも患者さんでいっぱいで、座る椅子が無い時もある。

 

ずっと独り言を言って、時折ちいさく叫ぶ年配の女性。

作業服を着た中年男性は、焦点の定まらない目をして、ずっと首をぐらんぐらんさせてる。

 

その様子をみて、気持ちが沈んだ。

挙動不審な自分も、他人から見たら一緒だった。

ぶるぶる震えて、酸素を求めて魚みたいに口をパクパクして、何度も外へ出たり待合室に戻ったりしてた。

 

受付のあと、問診票を書いた。

A4用紙の裏表に、次のような質問がびっしり書かれてた。

・夜、眠れない
・急に悲しい気持ちになる
・自分は社会にとって不必要な人間だと感じる
・死にたくなる

 

これを書いた時、「精神病院に来たんだな~」と実感して泣きたくなった。

(でも通院して本当に良かったと、今は思ってる!)

 

 

どのくらいの時間、待ったのかな。

名前を呼ばれ、狭い部屋に入ると、ソーシャルワーカーの女性がいた。

成育歴、家族構成、職業、いつから症状がでたか?など30分弱のヒアリングがあった。

 

これが診察だと思ってたら、また待合室に戻された。

しばらく経って別の部屋に呼ばれ、医師の診察が始まった。

 

続きは次回、また書きたい。

今日も良い1日を。 

初めてパニック発作になった日のこと

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Photo by Marc-Olivier Jodoin on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

さて、今日はパニック発作の症状について書こうと思う。

 

ずっと暗い話でごめんなさい。

でも、こんな風に書けるようになったってことは、少しはマシになったんだと思う。

 

いつか、

パワハラで会社を辞めた時は、なにもかも失ったと思ったのに、人って変われるんだね~」

って思いたくて書いてる。

 

だから、不安にならずに読んでもらえたら嬉しい。

 

 

昨年1月、初めてパニック発作が起きた日。

自分が会社を辞める夢を見た。

目が覚めた途端、なぜか「会社を辞めたら自分は死んでしまう」って思った。

 

息ができなくなって、パジャマのまま自宅マンションのベランダへ飛び出した。

空気がほしくて。

 

家族は誰も家にいなかった。

 

自分の場合は毎回、正気を失いそうになる。

この世界じゃないどこかへ行ってしまうような、死んでしまいそうな恐怖感。

世界に1人っきりみたいな孤独感。

 

初めてパニック発作になった日は、何が起きたのかわからなかった。

ベランダから飛び降りたい衝動を必死にこらえてた。

この高さ落ちたら死ぬってわかってるのに。

 

「死にたくない」って思った。

手にしてたスマホから、自殺相談ホットラインに電話した。

でも検索でヒットした3か所は、まさかの受付時間外で。

 

スマホを操作してるあいだも、ベランダの柵を飛び越えたい衝動は消えなくて。

呼吸困難で部屋の中にも入れなくて。

 

仕方なく、家から近い順に精神病院に電話した。

でも次々「予約がないとだめ」と断られてしまう。

 

4件目に電話したのが、今通ってる精神病院。

最初は断られたけど、もう息も絶え絶え喋ってたせいか、

「かなり良くない状態なんですよね?・・・30分以内に来てもらえたら診れます」

と言ってくれた。

 

この「30分以内」が良かったんだと思う。

頭の中が「早く行かなきゃ!」だけになったおかげで、着替えて5分で家を出れた。

 

 

精神病院のことも次回、書きたい。

今日も良い1日を。

鬱病の経過を振り返る③(2020年9~12月の社会復帰期間)

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Photo by Charisse Kenion on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

鬱病の1年間を振り返ってて、今日はラスト9〜12月を書こうと思う。

 

前回は、自宅療養の8月までを書いた。

lavandura.hatenablog.com

 

 

9月

・地元でボランティアに参加する

・帰宅後、疲労で3~4時間ダウン

 

10月

・人が怖くなる(対人恐怖症)

・1日中、不安な気持ち

 

11月

パニック発作が再発する

・朝、起きるのに2~3時間かかる

 

12月

・仕事中パニック発作を起こす

・帰宅後、ダウンせず家事ができる

 

 

<9~12月の総括>

社会復帰のために週2日ボランティア活動をはじめた。

さらに週2日、短時間の仕事をはじめた。

 

それまで自宅療養だったのが、9月から社会へ出て人と関わっていくことで鬱症状が悪化した。

克服したと思ってたパニック発作も再発した。

 

職場の人達はみんな良い人そうで、特に困ってることは無い。

(面倒くさい人には近寄らないようにしてるので、今のところ平気)

 

それなのに毎日「嫌なことが起きたらどうしよう」と、自分の作り出す不安で絶望的な気持ちになってる。


職場の人達に対して「今はまだ付き合いが浅いから良いけど、だんだん横暴になって、そのうち理不尽なことを言い出すんじゃないか?」と疑ってしまう。

 

対人恐怖症になり、見知らぬ人に対して、「いきなり私に怒鳴ってくるんじゃないか」という妄想が止まらない。

 

 

一方で、良かったこともある。

 

職場に慣れたみたいで、帰宅後ぐったりしなくなった。

12月中旬までは疲労困憊で帰宅途中コンビニすら寄れなかったのに。

 

 

以上、3回にわたり2021年を振り返ってみた。

 

次はどんな1年になるんだろう。

生きてるだけで、いっか。

 

今日も良い1日を。

鬱病の経過を振り返る②(2020年5~8月の自宅療養期間)

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Estée Janssens on Unsplash

 

みなさん、こんにちは。

昨日は鬱病の経過について書いたんだけど、みょうに気分が落ちたので、これからは楽しく書いてみたいと思う。

(楽しくできるかわかんないけど・・・)

lavandura.hatenablog.com

昨日の続きで5~8月を振り返ってみたい。

 

 

5月

・子供時代の嫌な記憶を思い出す

・あらゆる事柄に怒りがわく

 

6月

・やたら攻撃的な性格になる

・午後は起きて過ごせるようになる

 

7月

・映画や読書が頭に入ってくるようになる

・パニック症で電車に乗れる日と、乗れない日があった

 

8月

・動植物を見た時など、笑顔が戻った

・時々、どうしていいかわからず言葉を失う

 

 

<5~8月の総括>

この時期は、今までのアイデンティティが壊れて、自分が空っぽになった気がした。

何が正しくて、何が間違ってるかわからなくなった。

 

言葉が出てこない時もあって。

自分がおかしくなってしまったようで怖かった。

 

あと、外出先でよく貧血になった。

1月からの自宅療養で体力が落ちてた。

 

鬱病からくる倦怠感、頭痛、吐き気は7月には落ち着いた。

鬱症状は、2020年のなかでは8月が1番良い精神状態だったと思う。

 

 

 

9月以降、また社会と関わることで鬱症状は悪化していくんだけど、続きは次回また書きたい。

 

アイデンティティが壊れる前の自分は、幻想を求めてたと思う。

この世界も、他の人達も、正しくて完璧に見えてて。

人は、支え合って親切にするのが当たり前だと思ってた。

 

辛い思いをするのは、自分が駄目人間だからだと思ってた。

 

でも鬱病で世界観が変わった。

他人を陥れて、不幸をよろこぶ人がいるって知った。

 

この世界は理不尽で、みんな結構えげつない。

 

 

自分も他人も「しょーもない」って思ったら、人の思いやりに触れた時、嬉くなる。

当たり前のことじゃないって思うから。

 

今日も良い1日を。