忌み嫌われた、変わった男の子
みなさん、こんにちは。
最近、私の子供時代は、ちょっと特殊だったと思うようになった。
まず、6歳まで男の子として育てられた。
髪はサルのようなベリーショートで、男の子の服を着てた。
初対面の人からは100%「ぼく、ぼっちゃん、息子さん」と呼ばれた。
父親が、男の子がほしかったから。
弟が生まれた後、スカートを買ってもらうようになった。
もうひとつ。
母方が代々霊能者や易者の家系だった。
祖母はユタで、不思議な話がたくさんある。
(そのうち書くので、読んでもらえたら嬉しい)
母は普通の仕事で生活してるけど、人が死ぬ時期がぼんやりとわかる。
「○○さんの家族の誰かが亡くなる」
といった具合に、夢で知るらしい。
父親が死ぬ4日前も、母親は「またあの夢を見た、家族の誰かが死ぬ」と思って、怖くて仕方なかったそう。
あとはリアルで火の玉(人魂?)が視えるらしい。
母親本人は、この第六感を忌み嫌ってて、誰にも言いたがらない。
子供の頃の私は、変なことを言う子だった。
たとえば親戚が亡くなった時、大人たちが
「病気で亡くなった」と話してると、私は
「え?〇〇おじちゃんは、◇◇で死んだんしょ?」と、本当の死因を言ってしまう。
大人たちは「誰から聞いたんだ!?」って怒る。
私が「こうゆう柄のエプロンして、煙草吸ってるおばさん」って説明すると、
「△△さんのこと?」
「△△さんは2年前に死んだでしょ、ふざけてるの!?」
って、余計に怒られた。
たまにこうゆうことがあったから、私は大人たちから気持ち悪がられて嫌われてた。
父親には「またおまえは嘘ついたのか!」と殴られてた。
色々あって、この厄介な第六感は子供のうちに消された。
今は視えない。
性別も第六感も、父親から否定された子供時代だった。
今までは、こんなこと話せなかった。
人から責められるのが怖くて。
今日も良い1日を。
精神病院ってどんなところ?(後編)
みなさん、こんにちは。
精神病院について後編を書きたい。
以前、会社の福利厚生でカウンセリングや産業医にかかったことがある。
それらの建物は明るくて、観葉植物が置かれた広々した空間だった。
でも私が通ってる下町の精神病院は古く、狭く、雰囲気も暗い。
子供のように泣いてイヤイヤをする中年男性。
それを隣でなだめてる高齢の母親。
親に付き添う娘(嫁?)のトゲトゲした言葉。
・・・生活感がある生々しい空間だ。
でも自転車で通えるから助かってる。
パニック発作については、毎日薬を飲むよう処方された。
でも効きすぎて、お昼に飲むと、翌日の夕方まで眠ってしまう。
もともと薬や注射が嫌いなので、担当医師に「飲みたくない」と伝えた。
結局、発作が起きた時や、その予兆で不安感が強い時だけ飲むことにした。
10月以降は、常に2種類の薬を持ち歩いて、状況にあわせて使いわけてる。
強い薬は、28時間ぐらい持続して朦朧とする。
弱い薬は、仕事中に飲んでもだいじょうぶ。
薬はどちらも服用後20分程で効いてくる。
気分が落ちてる時は、発作回避のため早めに飲む。
私は、他人の気持ちを読もうとして、常に神経が張りつめてる。
でも、この弱い薬を飲むと、頭の中がグルグル稼働しなくなるので、余計なことを考えなくなる。
他の人って、こんな気分がデフォルトなのかな?
すっきりシンプルな思考になれるので気に入ってる。
11月からは柴朴湯(サイボクトウ)という漢方も毎日、飲んでいる。
不安恐怖に陥る日が減ったと思う。
担当医師の話によると、
・パニック発作で死んだ人はいない
・臓器そのものは問題ない
・発作は20~40分で終わる(体力による)
・私の場合は30分ほど続くので、それだけ体力がある
・自律神経発作、予期不安、不安恐怖と言われてる
・「発作を起こしても死なないんだ」と経験的に把握していくしかない
人生から不安が消えたら、どんな穏やかな景色が見えるんだろう。
今日も良い1日を。
精神病院ってどんなところ?(中編)
みなさん、こんにちは。
昨日の続きを書きたい。
私が通ってる精神病院では、初診の時だけ30分以内のカウンセリングがある。
初診以外は、5~10分の医師の診察だけだ。
私の担当医師はスキンヘッドで、いつもハイネックの黒いジャージを着てる。
医者に見えない。
寡黙な板前みたいな雰囲気だ。
その担当医師は、
「半年以上前から鬱病だったと思うよ。パニック発作は薬だすから。出社不可って診断書に書くから、会社に郵送しなさい」
と言った。
社畜だった私は「え、でも仕事があるから、それは無理ですよ」と答えた。
担当医師は「出社、できないでしょ?」とだけ言った。
この診察の前に、会社に電話した時のことが頭をよぎった。
人事部に繋いでもらって松田係長が出たけど、私は30秒以上、言葉が出てこなかった。
松田係長は、
「あれ、電波悪いのかな?もしもーし?」
と言ってた。
私がやっと発した言葉は
「お疲れ様です、松田です」だった。
松田は係長の名前なのに。
もう何を言ってるのか自分でもわからなかった。
しどろもどろ、やっとのことで病院にいることを伝えた。
こんな状態だったので、担当医師の言う通り、自分はもう無理なんだと悟った。
家族にはメールでSOSを送ってたので、会社を早退して精神病院の最寄り駅に来てくれた。
人事部長と松田係長も、その近くのカフェまで来てくれて4人で面談した。
会社へ提出した診断書は封緘されてたので、何が書かれていたのか知らない。
でも、この日以降、退職手続きや一切の引継ぎを、松田係長を通して会社とやり取りした。
パワハラ上司とも、他の誰とも、メールも電話もしてない。
一緒に旅行するほど仲の良かった同僚も、今日まで1度も連絡をとってない。
会社のことを考えると感情が揺れてパニック発作が起きるので、連絡遮断は悲しい反面、ほっとした。
10日後、私物が宅配便で送られてきた。
これで終わり。
あっけなかったな~。
今日も良い1日を。
精神病院ってどんなところ?(前編)
みなさん、こんにちは。
今日は、私が通ってる精神病院の話を書こうと思う。
場所は、家から自転車で20分ぐらいの場所にある。
近くに入院病棟も併設してる。
前回、初めてパニック発作を起こした日のことを書いた。
電話を切った後、
「30分以内に病院へ行かなきゃ!」と一心不乱に病院へ向かった。
もし間にあわないと、他に受け入れてくれる病院が無い。
あの、発作の時の衝動はなんなんだろう?
大声で叫びたいような、川へ飛び込んでしまいたいような、死んでしまいたいような。
自分はおかしくなってしまった、このままだと死んでしまうって本気で思った。
病院の建物は、暗くて、普通の病院よりも狭い。
待合室は、いつも患者さんでいっぱいで、座る椅子が無い時もある。
ずっと独り言を言って、時折ちいさく叫ぶ年配の女性。
作業服を着た中年男性は、焦点の定まらない目をして、ずっと首をぐらんぐらんさせてる。
その様子をみて、気持ちが沈んだ。
挙動不審な自分も、他人から見たら一緒だった。
ぶるぶる震えて、酸素を求めて魚みたいに口をパクパクして、何度も外へ出たり待合室に戻ったりしてた。
受付のあと、問診票を書いた。
A4用紙の裏表に、次のような質問がびっしり書かれてた。
・夜、眠れない
・急に悲しい気持ちになる
・自分は社会にとって不必要な人間だと感じる
・死にたくなる
これを書いた時、「精神病院に来たんだな~」と実感して泣きたくなった。
(でも通院して本当に良かったと、今は思ってる!)
どのくらいの時間、待ったのかな。
名前を呼ばれ、狭い部屋に入ると、ソーシャルワーカーの女性がいた。
成育歴、家族構成、職業、いつから症状がでたか?など30分弱のヒアリングがあった。
これが診察だと思ってたら、また待合室に戻された。
しばらく経って別の部屋に呼ばれ、医師の診察が始まった。
続きは次回、また書きたい。
今日も良い1日を。
初めてパニック発作になった日のこと
みなさん、こんにちは。
さて、今日はパニック発作の症状について書こうと思う。
ずっと暗い話でごめんなさい。
でも、こんな風に書けるようになったってことは、少しはマシになったんだと思う。
いつか、
「パワハラで会社を辞めた時は、なにもかも失ったと思ったのに、人って変われるんだね~」
って思いたくて書いてる。
だから、不安にならずに読んでもらえたら嬉しい。
昨年1月、初めてパニック発作が起きた日。
自分が会社を辞める夢を見た。
目が覚めた途端、なぜか「会社を辞めたら自分は死んでしまう」って思った。
息ができなくなって、パジャマのまま自宅マンションのベランダへ飛び出した。
空気がほしくて。
家族は誰も家にいなかった。
自分の場合は毎回、正気を失いそうになる。
この世界じゃないどこかへ行ってしまうような、死んでしまいそうな恐怖感。
世界に1人っきりみたいな孤独感。
初めてパニック発作になった日は、何が起きたのかわからなかった。
ベランダから飛び降りたい衝動を必死にこらえてた。
この高さ落ちたら死ぬってわかってるのに。
「死にたくない」って思った。
手にしてたスマホから、自殺相談ホットラインに電話した。
でも検索でヒットした3か所は、まさかの受付時間外で。
スマホを操作してるあいだも、ベランダの柵を飛び越えたい衝動は消えなくて。
呼吸困難で部屋の中にも入れなくて。
仕方なく、家から近い順に精神病院に電話した。
でも次々「予約がないとだめ」と断られてしまう。
4件目に電話したのが、今通ってる精神病院。
最初は断られたけど、もう息も絶え絶え喋ってたせいか、
「かなり良くない状態なんですよね?・・・30分以内に来てもらえたら診れます」
と言ってくれた。
この「30分以内」が良かったんだと思う。
頭の中が「早く行かなきゃ!」だけになったおかげで、着替えて5分で家を出れた。
精神病院のことも次回、書きたい。
今日も良い1日を。
鬱病の経過を振り返る③(2020年9~12月の社会復帰期間)
みなさん、こんにちは。
鬱病の1年間を振り返ってて、今日はラスト9〜12月を書こうと思う。
前回は、自宅療養の8月までを書いた。
9月
・地元でボランティアに参加する
・帰宅後、疲労で3~4時間ダウン
10月
・人が怖くなる(対人恐怖症)
・1日中、不安な気持ち
11月
・パニック発作が再発する
・朝、起きるのに2~3時間かかる
12月
・仕事中パニック発作を起こす
・帰宅後、ダウンせず家事ができる
<9~12月の総括>
社会復帰のために週2日ボランティア活動をはじめた。
さらに週2日、短時間の仕事をはじめた。
それまで自宅療養だったのが、9月から社会へ出て人と関わっていくことで鬱症状が悪化した。
克服したと思ってたパニック発作も再発した。
職場の人達はみんな良い人そうで、特に困ってることは無い。
(面倒くさい人には近寄らないようにしてるので、今のところ平気)
それなのに毎日「嫌なことが起きたらどうしよう」と、自分の作り出す不安で絶望的な気持ちになってる。
職場の人達に対して「今はまだ付き合いが浅いから良いけど、だんだん横暴になって、そのうち理不尽なことを言い出すんじゃないか?」と疑ってしまう。
対人恐怖症になり、見知らぬ人に対して、「いきなり私に怒鳴ってくるんじゃないか」という妄想が止まらない。
一方で、良かったこともある。
職場に慣れたみたいで、帰宅後ぐったりしなくなった。
12月中旬までは疲労困憊で帰宅途中コンビニすら寄れなかったのに。
以上、3回にわたり2021年を振り返ってみた。
次はどんな1年になるんだろう。
生きてるだけで、いっか。
今日も良い1日を。
鬱病の経過を振り返る②(2020年5~8月の自宅療養期間)
みなさん、こんにちは。
昨日は鬱病の経過について書いたんだけど、みょうに気分が落ちたので、これからは楽しく書いてみたいと思う。
(楽しくできるかわかんないけど・・・)
昨日の続きで5~8月を振り返ってみたい。
5月
・子供時代の嫌な記憶を思い出す
・あらゆる事柄に怒りがわく
6月
・やたら攻撃的な性格になる
・午後は起きて過ごせるようになる
7月
・映画や読書が頭に入ってくるようになる
・パニック症で電車に乗れる日と、乗れない日があった
8月
・動植物を見た時など、笑顔が戻った
・時々、どうしていいかわからず言葉を失う
<5~8月の総括>
この時期は、今までのアイデンティティが壊れて、自分が空っぽになった気がした。
何が正しくて、何が間違ってるかわからなくなった。
言葉が出てこない時もあって。
自分がおかしくなってしまったようで怖かった。
あと、外出先でよく貧血になった。
1月からの自宅療養で体力が落ちてた。
鬱病からくる倦怠感、頭痛、吐き気は7月には落ち着いた。
鬱症状は、2020年のなかでは8月が1番良い精神状態だったと思う。
9月以降、また社会と関わることで鬱症状は悪化していくんだけど、続きは次回また書きたい。
アイデンティティが壊れる前の自分は、幻想を求めてたと思う。
この世界も、他の人達も、正しくて完璧に見えてて。
人は、支え合って親切にするのが当たり前だと思ってた。
辛い思いをするのは、自分が駄目人間だからだと思ってた。
でも鬱病で世界観が変わった。
他人を陥れて、不幸をよろこぶ人がいるって知った。
この世界は理不尽で、みんな結構えげつない。
自分も他人も「しょーもない」って思ったら、人の思いやりに触れた時、嬉くなる。
当たり前のことじゃないって思うから。
今日も良い1日を。