グアムから帰郷した遺品写真
みなさん、こんにちは。
今日は、沖縄の神社で撮影された1枚の写真について書きたい。
偶然この写真に遭遇したのは、2016年、グアム旅行の際に行った「グアム太平洋戦争博物館」だった。
そこには太平洋戦争で使用された武器や、日本兵、米兵の遺品が展示されている。
庭には戦闘機や戦車の展示もある。
そして館内の写真パネルの中に、自分の故郷の写真を見つけた。
自分は、この神社の隣にある病院で生まれた。
だから、この写真がとても気になった。
この人達は誰なんだろう?
そこで、この神社の近くにある名護図書館に写真を掲示してもらい、名護市広報の「市史だより」で情報提供を呼びかけていただいた。
名護図書館と名護市文化課市史編さん係の方達が調査してくださった内容をメモする。
① 沖縄県立第三中学校、7期生の可能性が高い
昭和14年3月卒業 ※三中は昭和3年4月開校
② 校章と帽子の線がはっきりわかれば断定できる
三中の帽子の線は3本
※拡大したがはっきりとしない
③ 大兼久出身(護佐喜宮一帯)の三中卒業生は、毎年、護佐喜宮で卒業記念写真を撮影した
※5期後輩の情報
④県立第三中学校生だとしたら、7期卒業生は2020年現在96、4歳になる
⑤三中を受け継いでいる名護高校を訪問し、教頭先生にお尋ねしたが、この写真は初めてご覧になったとのこと
⑥三中7期生の名簿を入手したが、残念ながら、ご健在の方は見つからなかった
⑦ご健在の三中卒業生の方たち(80代)に調査したが、わからなかった
・・・結局、これ以上わからなかった。
この写真をグアムまで持ってきた人は、あの戦争を生き延びたのだろうか?
彼らは終戦当時、20、1歳だったはずだ。
無事に家族の元へ帰っていてほしい。
でも・・・この年代は、突出して死者が多かった。
明日また理由を書きたい。
図書館や名護市文化課の方達のご尽力で、写真だけ、故郷へ帰れた。
心から感謝している。
今日も、良い1日を。