島民を虐殺して「悪いことしてない」、久米島事件
みなさん、こんにちは。
さて、昨日は沖縄戦について、実際は9月まで戦闘が続いてたことを書いた。
6/23「慰霊の日」以降に、日本軍が民間人29人を虐殺した事件があった。
命令した日本海軍の鹿山正海軍兵曹長は、戦後「ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない」と語っている。
この久米島守備隊住民虐殺事件について、考えてみたい。
時代、場所、思想、立場に左右されない「絶対正義」って、あるんだろうか?
事件の概要と、鹿山の訴える正当性についてメモする。
1945年6月27日、久米島に上陸した米軍は、戦車で具志川村に進攻した。
島の住民たちは山奥へと逃げまわった。
久米島郵便局の職員、安里正次郎さんは、自宅から避難壕に逃げる途中で米軍につかまり、山中に潜んでる日本軍へ、降伏勧告状を持って行けと命令された。
安里さんは久米島守備隊トップ、鹿山正(事件当時32歳)を訪れ、事情を説明した。
ところが鹿山は、安里さんを「スパイ」と決めつけ、銃殺した。
当時、スパイだと噂されると、日本軍に家族全員殺された。
安里さんの妻カネさんは、親類に迷惑をかけまいとして逃げまわり、一週間後に山田川へ入水自殺した。
そのショックでカネさんの母親も寝込んでしまい、まもなく亡くなった。
安里さん夫婦は、スパイなんて考えられない、親切ないい人達だったという島民達の証言がある。
このあと鹿山は、区長の小橋川友晃さんと、区警防団長の糸数盛保さんの2家族9人を処刑する。証言によると、
「宮城さんの家に集められた九人は、手足を針金で縛られ、目隠しされて立たされ『ひとりひとり殺せよ』と命令され、銃剣で次々刺したのです。
一突きで死ななかったので、のたうちまわっている九人を何度も刺して殺し、八坪そこそこの住宅は血の海となり、全員が息絶えた処、火をつけて引き上げていったのです」
家ごと焼き払われた死体は、いずれも黒こげでだれがだれだかまるで判別不能の有り様でした。
鹿山隊は、投降する9/7までのあいだに、乳飲み子も含め、島民29人を処刑した。
また鹿山は、自分の部下3人も、命令に服従しなかったとして処刑している。
沖縄本土復帰を控えた1972年、鹿山は雑誌「サンデー毎日」の取材で、自分の正当性を主張した。
「少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。
それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。
いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。
ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。」
「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、アメリカ軍にやられるより先きに、島民にやられてしまうということだったんだ。
なにしろ、ワシの部下は三十何人、島民は一万人もおりましたからね、島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない。
だから、島民の日本に対する忠誠心をゆるぎないものにするためにも、断固たる処置が必要だった。島民を掌握するために、ワシはやったのです。」
むごたらしい事件だ。
何の罪もない島民を虐殺したことは許せない。
だけど、この鹿山だけを悪だと言い切れるか?
この答えが出なくて、ずっと考えている。
鹿山隊は米軍上陸前から、「労務提供」という名目で島民をこき使い、食糧を強制的に徴発していた。
でも沖縄戦で、住民を迫害して、戦闘に参加させ、死を強いたのは、鹿山隊だけじゃなかった。
祖母は、良い兵隊さんも悪い兵隊さんもいたと言ってた。
友軍(日本兵)にも、アメリカ兵にも。
善悪って、一体なんだろう?
国や時代が変われば、善悪の価値観も変わる。
誰かの善は、誰かにとっての悪で、
誰かの悪は、誰かにとっての善だ。
やるせない。
たぶん、この世界には「善悪の別」も、「正義」もないんだ。
戦争を、なくしたい。
私は、子供の頃から親に殴られて、言いたいことが言えないまま大人になった。
社会に出てからも、いいように利用されて、威圧的な人のサンドバッグにされてた。
もう嫌だ。
これからは、理不尽なことが起きてたら、声をあげたい。
何かがおかしいのに、それを見なかったことにして生きていくのは、もう気持ち悪い。
仕方がないって思ったら、ずっとそのポジションのままだから、自分の居心地よさのために、声をあげたい。
今日も良い1日を。