戦後、悪ふざけで殺された子供達
みなさん、こんにちは。
さて、今日は戦後、沖縄で殺された子供達について書きたい。
日本の終戦日は1945年8月になっている。
この後も、アメリカ統治下の沖縄では、米兵による射殺、刺殺、撲殺、強姦が続いた。
忘れられない話がある。
終戦の翌年、6月。
国頭村の海岸で川蟹をとっていた9歳と14歳の少年がいた。
そこへ米軍の偵察機が急降下して、9歳の少年は飛行機の車輪で頭を砕かれ即死した。
14歳の少年が抱え起こそうとした時、再び偵察機が低空で近づいてきたため、ススキ原に逃げこみ命からがら部落へ帰った。
米軍による、意図的な轢殺だった。
このような米軍機やトラックによる轢殺は、たくさんあった。
母親が子どもを背負って野原でヨモギを摘んでいた。
米兵4人がジープで来て、いきなり車のなかに引きずりこんだ。
ジープが猛スピードで曲がったとき、親子は振り落とされ、背中の子は即死した。
米兵がジープからチューインガムやビスケットを路上に投げ、子供達が奪いあって拾うのを笑っていた。
そこへ別のジープが疾走してきた。
子供達がいることを知りながら速度を落とさず、跳ね飛ばされた11歳の女の子が死んだ。
少年が、自転車の後ろにいとこを乗せて走っていた。
反対車線から疾走してきた米軍のジープが、道を横切ってわざと自転車に突入した。
16歳の安昇君は即死、8歳の安一君は病院で死亡した。
みんな、悪ふざけで、殺された。
被害者は、特に子供が多い。
いつだって弱いものが踏みにじられる、命を軽く扱われる。
ひたむきに生きている人が虐げられるのは、たまらなく苦しい。
どうしたら弱い者を守れるのか?
まず「仕方ない」をやめたい。
「関係ないから」
「何かできるわけじゃないから」
「TVがこう言ってたから」
「偉い人がこう言ってるんだから」
・・・ってゆう、無関心と同調圧力をやめたい。
他にどうしたらいいのかわからないけど、これから考えていきたいと思う。
今日も、良い1日を。