沖縄戦、考えてこなかった視点

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石垣島」Thanks to ばんない堂


 

みなさん、こんにちは。

さて、連日、沖縄戦の話が続いてる。

 

自分でも1週間以上、書くと思ってなかった。

戦争には、それだけ多くの要素があって複雑だと感じている。

沖縄戦の同じ局面でも、それぞれの立場で、違った視点になる。

子供の視点、大人の視点。
兵隊の視点、非戦闘員の視点。
日本人、アメリカ人、韓国人の視点。

 

ここまでは、日本軍・米軍によって悲惨な経験をした人達のことを書いてきた。

 

「兵隊さん達は、沖縄を守るため、日本中から来てくれた。

それなのに大勢亡くなって、故郷へ帰れず、遺骨すら家族の元へ戻してあげられなくて気の毒さ。」

これは、祖母の言葉だ。

 

今まで、兵隊達の立場を考えたことがなかった。

でも、自分のアイデンティティが壊れてから、私は、この世には善悪の区別なんて無いって思うようになった。

 

兵隊達も「被害者」なんだ。

これから、兵隊視点も考えてみたい。

 

沖縄戦に限らない話だけど、難しいと感じてるのは、戦記は文献によって数値や見解に差異があることだ。

今回、できるだけ「史実」に忠実に書くため、書籍や資料でも読んだことがある出来事を取り上げてきた。

でも、ウィキペディアも含め、細部が異なる情報が存在するのだ。

 

たとえば久米島事件では、生きたまま家に火を放ったという証言と、死後に火を放ったという証言がある。

シムクガマでは「全員、生存した」というのが通説だが、「最初に投げ入れられた手榴弾で小学生が亡くなった」という記録もある。

 

そもそも死者数だって、「戸籍」が沖縄戦で焼失したため、正確に把握できていない。

特に南部など、村がまるごと壊滅して、何世帯何人が暮らしてて、どのように死んだのか、もう誰にもわからなくなってしまった地域もある。

 

戦争中と戦後の過酷な状況下で生死をさまよい、記憶が混乱している可能性もある。

何らかの利益のために、証言を曲げている可能性もある。

このような状況により、数値や見解に差異が生じている。

 

書いていて、息苦しくなる話ばかりだ。

でも、祖母の証言をブログに書けて良かったと思ってる。

祖母は、子供の私に、遺体の克明な描写を交え、恐ろしい戦争体験を聞かせた。

そのたびに「戦争は怖いって、みんなに言ってちょうだいね、お願いよ」と言っていたから。

 

今日も良い1日を。