正当化について、シャンバラ理論
みなさん、こんにちは。
最近、私は「正義中毒」や「正当化」で嫌な思いをしないために、どうしたらいいか考えていた。
ふと「シャンバラなら、なんて言うかな?」と思い、「新ベスのブログ」を検索したら、2018年6月の質疑応答にヒントが書かれていた。
下記、引用させていただきたい。
Q. (一部抜粋)
人と話す時に、意見が違うことはままあります。私は出来るだけ違う意見や考えも聞く、聞けるように心がけていますが、時に「自分こそ正しい」と譲らない方もいますし、私の方こそ正当性がある、とどう考えても思う時もあります。
その「正しい、正しさ、正当性」というのは、客観的にみれば人それぞれの価値観に寄る非常にバイアスがあるものだと感じるのですが、人はその正しさ、これは正しい、絶対だ、という感覚をどのようにとらえて(反応)しているのでしょうか?
A. (一部抜粋)
まず、正しさより謙虚さを中心においてください。つまり話をするうちに「もしかしたら自分の考えは間違っているかも」という感じを受けたら素直に認めることです。
相手をねじ伏せようとすると、とかく自分のプライドだけで話をして、人の話を聞かない。やがては平行線で、議論が喧嘩になってしまう。
坂本龍馬がなぜ魅力的って、そんな自分の意見も言えるし、人のすごさを認めるところでしょう。だからペリーも気に入ったし信頼できたのです。もちろん間違いを認められなければ、なぜそう思うのか話す必要もあります。たどたどしい会話でいいのです。そこに学びがあれば誰だって耳を傾けます。それが正当性です。
また2番目の質問では、次のように回答している。
A. (一部抜粋)
アンドロメダでは意見をごり押しする人には「君が万人の尺度ではない」といいます。知っている尺度が少ないからごり押しをするのです。これは明らかに勉強不足。そんな人間と話をしても学びにならないのでしない方がいい。満足している限り何も学ぼうとはしないでしょう。もっと価値ある人間と付き合うことをお勧めします。
引用元:新ベスのブログ
読んで1番印象的だったのは
「君が万人の尺度ではない」という言葉だ。
まず私自身が、狭い了見を相手に押し付けないよう、気をつけようと思った。
そしてシャンバラの上記アドバイスに従い、相手をねじ伏せるのではなく、謙虚に話してみたいと思う。
それでも相手が意見をゴリ押ししてきたら、そんな正当化人間とは、距離を置くことにする。
まだまだ威圧的な人が怖いけど。
今日も良い1日を。